そこにあったのか!的な伏線シリーズ part1 ~ようこそ実力至上主義の教室へ~
はじめに
こんにちは。2100です。
よう実って基本的に、伏線とその回収を楽しむ作品ですよね。
今回から、私が個人的に思う「あ、これよく考えたら伏線やん」みたいな箇所を、1巻から順に取り上げていきたいと思います。
単純な伏線の考察もやってみたいんですが……やれるほどの実力があればなあ……ブログの世界も実力主義ですよ。世知辛い。
今回の伏線
1巻123ページ “ま、こっちは試験のときと同じようにやるだけだけども”
記念すべき1個目の伏線はここ。
さりげない一言で、見逃しやすい一節だと思います。
これは4月末に行われた小テストの際、ケタ違いの難易度を誇る3問を見た綾小路のモノローグです。
これがどういう伏線なのか。
綾小路の小テストの点数は、ジャスト50点。
試験のときと同じようにやるとは、つまり入学試験と同じく50点を取るという意味だったのです。
また、綾小路はその小テストで、例の難易度が異常に高い3問のうち1問を正解し、逆にほとんどの人が正解した問題を間違えています。恐らくですが、入試においても、難易度の高い問題を正解し、逆に難易度の低い問題をわざと不正解して、点数を50点に調整したと思われます。
では、事なかれ主義を唄う綾小路が、いったいなぜこんな奇妙奇天烈なことをやったのか。
そのヒントは3巻にある「この世は『勝つ』ことが全てだ」「最後にオレが『勝って』さえいればそれでいい」という描写にあります。
綾小路が目立たず平穏無事な学校生活を送りたいというのは事実でしょう。まあのちにその方針を転換することになるのですが、それは置いておいて。
しかし綾小路は上記のような勝利至上主義的な考えの持ち主であり、その信条に従えば自分が勝者であることを示す必要があるわけです。
そこで、50点という低い点数を取って、自分が何の能力も持たない一般生徒であることを生徒向けにはアピールしつつ、その実難易度の高い問題を正解していたり、点数をすべて50点にそろえるという恐ろしく難しい芸当をやってのけ、自身の実力を証明する、という一石二鳥の手を打ったわけです。
平穏な学校生活を送るためには、ごく普通の生徒であることをアピールするのは一般生徒に向けてだけでよく、教師側には必要ありません。逆に言うと、生徒側に自分の有能さが漏れてはダメなので、点数を50点にそろえるという所業が生徒側にバレるのは望ましくないことです。そのため、クラスメイト全員に点数が公開される定期テストでは、50点にそろえることはしていません。その代わりに、毎回のテストの難易度からクラスの平均点を推測し、そのあたりの点数を狙って取っているのでしょう。それもまたかなりとんでもない芸当ではありますけどね。
まとめ
いかがでしたか、で始まるまとめ、なんかくどくないですか?
って思ってたんですけど、いざ自分でブログやってみると書きたくなるもんですね。まあどうでもいいか。
というわけで、「そこにあったのか!的な伏線シリーズ」、これから続けていきたいと思いますので、何卒よろしくお願いします。ここまでお読みいただいてありがとうございました。
引用元リスト
衣笠彰梧、MF文庫J「ようこそ実力至上主義の教室へ」123ページ
衣笠彰梧、MF文庫J「ようこそ実力子女主義の教室へ3」297ページ